帰ることができない、ならばどこで過ごすのか
地震の日、いつもなら持っている宿泊用意を、今日に限って私は持っていませんでした。
唯一の持参物。
・パソコン
・iPad
・ギャラクシータブ
・ポケットWifi
時刻は17:00。
まずは、寝るところ。
これから何が起こるかわかりません。とにかく安全なところにいなければなりません。
倒壊の恐れがなく、安心できるところ。
そして何も持っていない私が、洗顔やある程度のものは用意できるところ。
iPadでホテルを検索。
最初はある程度、お部屋情報があったのです。
だからちょっと、選んだりしてしまいました。
そしてこれが、大問題でした。
あれよあれよという間に、宿泊可能ホテルが無くなっていくのです。
考えられない勢いでした。
「まずい」
すこし判断が遅かったです。
急いで会社にメールをし、ホテルの手配を泣きつきました。
会社では大慌てで、新潟のホテルに電話。
でももちろん電話はつながらない。
そんな中、奇跡的に電話がつながり、ホテルの部屋を押さえてもらうことに成功。
この連絡を受けた時の、安堵と喜びといったら、ありません。
寝床を確保できずにいた私のいらだちは、本当にすさまじいものだったので。
こうして無事、寝床を確保することができました。(会社のみなさま、ありがとうございました。)
「生きる」ことにとって、安全で安心して眠りにつける場所があるということは、とても大切なことであると、痛感しました。
そして同時に、被災地にいる方々の不安と混乱の大きさを、考えずにはいられませんでした。
私は幸せです。
明かりがあり、雨風にもさらされない、ベットの上で、寝ることができるのです。